ベルトの話。

先日、クローゼットにかけていた首吊り用のベルトを外しました。
恋人さんが何度も何度もしつこく頼んできたためでした。
何故毎日毎日言うのか、私にはわからない。

残された人の気持ちを考えて。

ネットの世界に長くいると何度も聞いた言葉。
しかし自分が死んだ後のことを考えなくて良いから死は自由であり、我儘であり、救いであると思うのです。
もう周りのことを考えることをやめたい。自分のことを考えることをやめたい。未来のことを考えることをやめたい。
そんな日々の全てを投げ出せる、すごく自分勝手だけれども安楽な手段なのです。それなのに死んだ後のことを考えるわけがないでしょう。
最期くらい最高に身勝手でいたいのです。

生きるということはあまりに責任が重すぎる。



家族、友人、恋人、同僚、患者さん、疎遠になってしまったあの子、喧嘩別れした大好きだったあの子、私のことを気にかけてくれるあの子、
生きているだけで繋がりが私を縛る。
私が死んだらあの子は泣くのかな、家族は責任を感じるのかな、恋人さんはやさぐれて浮気でもはじめるのかな、あっでももう浮気じゃないのか、
そんな全てを死後の知らないこととして投げ出してしまいましょう。消えてしまった人間は無責任に未来からも消えましょう。


けれども、そうだな、
あの子があまりに必死に声を掛けてくれるから、もう少しあの子の言葉を聞いてみようかな。
あの患者さんが、私が部屋持ちにならない日にちを数えて心待ちにしているから仕事に行ってあげようかな。
読みたい漫画があるな、観たい映画があるな、行ってみたい国があるな、
ハリネズミも飼いたいな。白めの種類。恋人さんが1年頑張って仕事続けられたご褒美に買ってくれるって言ってくれたから。
恋人さんと一緒に同じものをみたいな。


仕方ないからもう少し生きよう
ベルトもあまりにも言われるから外したし
はやく死にたいなぁ

こうして私は生きて生きて生きて、もしかしたら唐突に死んでいるかもしれません。